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長野県の出身者・ゆかりのある人物

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長野県の出身者や長野県に ゆかりのある人物を掲載しています。
※出身地は現在の市町村などで表しています。

政治家・官僚

名前出没年出身地概要
出身者市川量造

いちかわ りょうぞう

1844年
~1908年
松本市競売にかけられた松本城を買い戻した県議会議員
出身者中村弥六

なかむら やろく

1855年
~1929年
伊那市森林関連法案の整備に携わり、布引丸事件に関与したとされる、戦前の政治家・官僚
出身者川島浪速

かわしま なにわ

1866年
~1949年
松本市川島芳子の養父で、中国で満蒙独立運動を行った政治運動家
出身者中原謹司

なかはら きんじ

1889年
~1951年
飯田市戦前に信州郷軍同志会を組織したり、長野県で新体制運動を主導した政治家
出身者増田甲子七

ますだ かねしち

1898年
~1985年
筑北村吉田茂の側近として、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任した政治家
出身者小坂善太郎

こさか ぜんたろう

1912年
~2000年
長野市外務大臣、労働大臣、経済企画庁長官などを歴任した政治家
ゆかり羽田孜

はた つとむ

1935年
~2017年
東京都
大田区
第80代内閣総理大臣に就任した政治家。青少年期を長野で過ごすと共に、選挙区が長野

武将・武士

名前出没年出身地概要
ゆかり木曾義仲(源義仲)

きそ よしなか

1154年
~1184年
埼玉県
嵐山町
以仁王の平氏打倒の令旨により挙兵した平安時代末期の武将。長野で育つ。
出身者村上義清

むらかみ よしきよ

1501年
~1573年
坂城町信濃北部を支配し、武田信玄を2度撃退した戦国武将
出身者諏訪頼重

すわ よりしげ

1516年
~1542年
長野県上原城城主で、武田信玄に滅ぼされた戦国武将
ゆかり仙石秀久

せんごく ひでひさ

1552年
~1614年
岐阜県
坂祝町
豊臣秀吉の古くからの家臣であるが改易され、その後に許され小諸藩主となった武将・大名
出身者真田昌幸

さなだ まさゆき

不明
~1611年
長野県武田家家臣時代には「信玄の眼」とも言われ、その後、上田合戦で徳川軍を撃退した戦国武将
出身者真田信之

さなだ のぶゆき

1566年
~1658年
長野県真田昌幸の長男で、初代・上田藩・松代藩主
出身者真田幸村
(真田信繁)

さなだ ゆきむら

1567年
~1615年
長野県真田昌幸の次男で、大坂の陣で活躍した武将
ゆかり保科正之

ほしな まさゆき

1611年
~1673年
東京都高遠藩主・山形藩主・会津藩主を務め、名君と称えられる、江戸時代の大名
出身者恩田木工

おんだ もく

1717年
~1762年
松代市藩主・真田幸弘のもと、質素倹約の励行、贈収賄の禁止などの藩政改革を行った松代藩士
ゆかり真田幸貫

さなだ ゆきつら

1791年
~1852年
東京都江戸時代後期に様々な改革を行った松代藩主

軍人

名前出没年出身地概要
出身者福島安正

ふくしま やすまさ

1852年
~1919年
松本市情報収集に力を発揮した、明治・大正時代の帝国陸軍軍人
出身者山田乙三

やまだ おとぞう

1881年
~1965年
長野県ソ連の対日参戦に直面し、関東軍総司令官としてソ連に降伏した帝国陸軍軍人
出身者水城圭次

みずしろ けいじ

1883年
~1927年
松本市艦艇の衝突事故である美保関事件で自決した帝国海軍軍人
出身者永田鉄山

ながた てつざん

1884年
~1935年
諏訪市統制派の一人であり、皇道派・統制派の対立の中、相沢事件により殺害された帝国陸軍軍人
出身者栗林忠道

くりばやし ただみち

1891年
~1945年
長野市第109師団長として、硫黄島の戦いを指揮した帝国陸軍軍人
出身者有賀幸作

ありが こうさく

1897年
~1945年
辰野町戦艦大和の最後の艦長として戦死した帝国海軍軍人


(次ページに続きます)

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